文芸誌『たまゆら』編集長の雑記帳

文芸誌『たまゆら』は30年以上続く老舗の文芸同人雑誌です。エッセイ、詩、俳句、短歌、小説、紀行文など、好きなジャンルで好きなように書く表現の場です。

オロロ畑でつかまえて 読書感想文

 

 

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 「オロロ畑でつかまえて」  萩原浩 第10回すばる文学賞新人賞受賞作

 最近かたっぱしから読んでいる。

 これまで丁寧に本を読んでいた。一行一行文字を追って。しかし集中力が長く続かなくなってきた。ちょっと休んでいるとストーリーがわからなくなり、そして関心を失い途中で投げ出してしまっている。

 積ん読ならぬ止め読。これってフラストレーションがたまるたまる。その本の背表紙からは「途中で止めたな」「放棄したな」「はやく読めー」というような呪詛の言葉の礫が飛んでくる。

 読め読め症候群のストレスから開放されたい! で始めたのが取り敢えず読んでしまう。最後のページまで。読み始めて関心がない興味がわかない、退屈だと思ったページは斜め読みしてしまう。気にしない気にしない。どんな小説や評論や文庫であろうと新書であろうと、おっ、と思うページはあるもので、そこだけぐっと踏み込んで読む。そうするとなんとなく作品の大意は見えてくる。いいんだ、大意だけで。完膚なきまでに読了する。なんてことは止めた。止めて気楽になった。

 これは速読ではない。勝手読み。これを無手勝流勝手読みと命名した。自分が惹かれた部分のことしか頭に残っていないのだから、作者の意図や思いが汲み取れているかといえば必ずそうはならない。勝手なんだからそれでいいじゃないか。作者がどう思おうと知ったことではない。作品は世に出たときから独り歩きするものだから。

 

 で通勤電車の往復の3時間(3日)で読んだのがこの作品。

 

オロロ豆といううずらの卵大の豆だ。銀杏のように串に刺して焼いて食べる。ちょっとケモノ臭くて慣れると案外・・・。実際はちょっと癖はあるものの香ばしい匂いがして、口に入れるとまずホロリと苦く、それからほのかな甘みがやってくる・・・。それが小説の舞台となる東北の秘境・牛穴村の特産品らしい。

作品は小説の体裁をとったギャク集といったものだろうか。何かのパロディーの連続といったものかもしれない。喜劇というよりもドタバタが延々と続く。

すばる文学賞をとったユーモア小説と評されているが、ニヤっとするような品のよさはない。題名からしサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をパロっているようだが、「ライ麦」のような上質さはこの小説には皆無である。

 牛穴村とかいうド田舎の村が村興しを企図し、手伝ってくれそうな広告代理店を探して上京。ひょんなことから経営の傾きかけた弱小のユニバーサル広告社と契約する。

ユニバーサルは村の起死回生の呼び物として村の龍神湖にネッシーならぬ恐竜「ウッシー」を出現させることにした。むろん張りぼての模型だ。捏造。しかしこれが大当たりする。大々的にテレビ新聞で取り上げられウッシーの出現をひと目みようと観光客がどっと村に押し寄せる。連日の車の大渋滞、民宿は連日の満室、民家を買い上げて間に合わせる、露店の酒場は大繁盛、池の周りに陣取る人、人、人・・・。

ボルテージは上がる一方だったが、接近に成功したテレビクルーに正体を見破られ、騒ぎは霧散する。

 これだけの話である。話の筋としては茶番であるが、伝わってきた言葉もある。それは美しいウソがある、許されるウソがある、という作者のモチーフである。そうまでしてもウソをつく人の心の内側も聞いてやってほしい。その内なるウソを作者は「LOVE」と表現した。

理屈はこうだ。A君がB子に恋をした。いっしょに音楽を聴いている。B子は言う。「この曲好き?」A君は好きでなくとも「好きだ」と答えるだろう。「ギター弾ける?」「もちろん弾けるとも」

しかしA君はギターを持っていない。だから弾けやしない。彼女に言ったことは全部ウソっぱちだ。しかしA君はあくる日にでもギターを買いに行き、教則本も同時に買って必死になって曲のコードを覚える。指にタコをつくり、たどたどしいながらも弾けるようになるだろう。しかし誰がA君のウソを詰り非難することができるだろうか。誰もが似たような経験があるんじゃないだろうか。美しい「ウソ」の。恋愛のドレスをまとった輝ける「ウソ」である。

本作はギターと村興しをいっしょくたにした屁理屈が全編に通底するテーマだ。愛があるから、情熱があるから、ウソをつく。過疎も過疎、ド過疎の村が生きるために必死になっている。その村を助けるのだ。人助けだ。だから、作り話で行く、捏造だってかまやしない。龍神池に舟を浮かべようが恐竜を泳がせようが、それも美しいウソだろう・・・。

ばかげている。いや、いいんだ。本作は最初から世の中をパロっている節がある。テレビ局が事実だと報じているニュースやドキュメンタリーですら事実を都合よく捻じ曲げて制作していることがある。テレビが話題をさらっているのは映像は実は贋作なんだと、偽物なんだよ、全部作り話なんだ・・・。(20200622)