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読書の思い出 サイゴンから来た妻と娘

日々の暮らしのあれこれが読書の思い出と結びつくことがあります。ああそうだった、と読み返してみるのも楽しみかも。 


サイゴンから来た妻と娘 

アフガニスタンの首都カブール陥落の模様をテレビで見たとき、真っ先に思い出したの
サンケイ新聞の特派員だった近藤紘一氏(故人)が、1975年の南ベトナムの首都サ
イゴン陥落の瞬間を打電した第一報である。
サイゴンはいま、音を立てて崩壊しつつある。つい二ヶ月、いや一ヶ月前までははっき
りと存在し、機能していた一つの国が、今地図から姿を消そうとしている。信じられない
ことだ……」とこのノンフィクションの冒頭、近藤氏は緊迫の数時間を活写した。
 物語はベトナム人の妻と娘を日本に出国させ東京で始めた3人での暮らしに移る。同じ
アジア人同士の、ベトナムと日本の衣食住の、また政治や宗教観のカルチャーギャップ、
そして生きることに対する考え方の違いを優しく細やかに描いた。
 私はこれを、カンボジア難民を支援するNGOのスタッフとして、タイで暮らしていた
30年ほど前に東北タイの駐在事務所で読んだ。東南アジアの分厚い大気のもと同じ空気
を吸っていたせいか、どうしても次の一節が今でも頭から離れない。
「東南アジアの社会は一般に『軟構造』の社会だといわれる。近代国家の実質をなす各種
の制度や秩序が、まだ末端の日常生活を管理しきっていないということなのだろう。(中
略)
本来は便法であった、これら窮屈なもの(近代国家を支える制度とか秩序)が、次第に絶
対化され、独自の生命力、支配力を持ち始める。この結果、組織はそれによって、表面的
にはダイナミズムを発揮するだろう。モーレツが美徳になれば、国民はそれが実際に自己
の人生にどれほど利するか考えず、やみくもに働く。(中略)その便法が一人歩きするの
に比例して、もともとはその便法(制度や秩序)の主人であったはずの人間の自由な心は
発露の場を失い、萎えていく」
 私は難民救援のかたわら国境地帯に出向き寒村の開発支援も行っていた。養豚養鶏なん
でもいい、ひとつのプロジェクトを実行しようとしてちょっと手違いがあったとする。タ
イの人々は概して「マイ・ペン・ライ(気にすることないよ)」とおおらかに構えること
がままある。ときにこっちが「えっ?」と考え込んでしまうようなことでも平気だ。
 細かいことにいちいち拘泥しないそんな気質に対し「だから民主主義が機能しないんだ
、開発の遅れた農村があり人々が貧困に喘いでいるんだ」などと目くじらを立てたものだ

ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本経済は力を謳歌し、バブルに突入していた浮か
れた時代だった。愚かにも私は世界で一、二の経済力を誇る日本人だという驕りがあった
のだ。タイの村が貧しいのは几帳面に働かないからだと決めつけていた。
 2020年頃からタイでは反政府運動が再び盛り上がりを見せている。これまでタブー
視されてきた王政まで踏み込み、国の体制そのものが歴史的転換点を迎えている。政治の
変革を求めて人々がシュプレヒコールを上げる姿をテレビで見て、タイの市民の方が日本
人よりよっぽどパワフルだと感じずにおれない。
 日本にはもう社会も経済も国際競争力で誇れるものはごくわずかしかない。人口減少、
産業の空洞化から長く抜け出せず、ここへ来てコロナ禍、医療崩壊、所得減少、所得格差
に拍車がかかる。こうした負の面が報じられ、事実、国の将来が危ぶまれる状況に陥って
いても、私達日本人は個人個人では反感を持ち不満をSNSでぶちまけるが、街路に出て、
目に見える形で運動を展開し意見を表明する場面ほとんどない。おとなしい。私自身も。
近藤氏が言うように「人間の自由な心は発露の場を失い、萎えていく」。そういった状態
に私達はあるのかも知れない。
 

 「サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一著 文春文庫1988年 大宅壮一賞受賞作