文芸『たまゆら』編集長                       オフィシャルブログ

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読書の思い出 りんごがいいですか、それとも林檎ですか

f:id:abbeyroad-kaz:20210920053249j:plain松本隆さんから喫茶店で聞いたこと」を読んで 

 名作詞家の松本隆さんが、松本聖子さんに「ガラスの林檎」の詩を書いたとき、盟友細野晴臣さんが作曲したのだが、いよいよ発売の段になって、レコード会社側が
「タイトルの『林檎』という漢字が難しすぎて子供には読めない。カタカナにしてくれ」
と頼んできた。
 松本さんは「読めないんだったら、これで読めるようになりますから』って突っぱねたそうだ。「松田聖子が『ガラスの林檎』で一位をとれば、小学生が覚える。それだけでもすごい教育になるんじゃない?」と松本さんは語っている(「喫茶店松本隆さんから聞いたこと」67ページ 山下賢二著 夏葉社2021年9月15日第2刷発行)。
 
 ところで難読漢字というものがある。画数が多かったり字の格好から推測つかないような漢字である。昆虫の名前なんかそうだ。例えば蟷螂(かまきり)や蜉蝣(かげろう)など。草花もいっぱい?が付きそう。紫陽花(あじさい)銀杏(いちょう)はまだポピュラーなほうだろう。猫じゃらしにも使われる狗尾草(えのころぐさ)は活字では滅多にお目にかからない。風情のある落葉松(からまつ)も山歩きが好きな人でもなければ難しいかもしれない。日常性のある字でも愛猫(あいびょう)や釣果(ちょうか)吹鳴(すいめい)はすんなり読めない人もいるかもしれない。
 これは難読漢字ですよ、と文科省が分類した漢字集があるのかどうか知らない。これも個人差だろうが、普段から読んだことがなかったり使わなかったりする漢字は難読ということになるんだろう。
 私はときどき同人雑誌などに文章を書いている者だが、書いている途中に漢字にしようかどうしようか迷うことがよくある。長い間のうちにこれは漢字では書かないと癖にしてしまっているのも多く、知らずと難読漢字を増やしてしまっている。しこうして、ここ一番というときに限って漢字が思い出せず辞書を繰るということにあいなる。
 
 自分はこう書く、この漢字は使わないと決めることは誰でもできる。例を上げると説明的あるいは伝聞形式の、「事件Aのその後の状況は証拠は集まっていないという」は「言う」とは書かないし、「こういったことはしてはいけない」は「事」とは書かないようにしている。文法的な理由よりも「言う」や「事」を連発すると文章に「言」や「事」だらけになってしまって見苦しいからだ。また「ぼくはそうこたえた」も「答えた」も「応えた」も使い分けをせずもっぱらひらがなだ。実はどっちがどっちか決定的な意味の違いを勉強していないからで、そのお粗末さに反省しきりです。
 大家になれば縦横無尽に漢字とひらがなを使い分け引き締まった文章を書いている。作家によってどの字、どの漢字をどう使うかはその人次第。最もふさわしい文字をそこに当てはめて文意を掘り下げるのが作家魂だ。ただ難しい漢字を使えばよいということではない。神は細部に宿るというが、漢字によっては作品全体をぶち壊してしまうようなこともあるから要注意である。
ガラスの林檎たち」は広く「林檎」って漢字でこう書くんだと知らしめた。その事実は大きい。暗記一辺倒の学習では気が重い。教師にせっつかれて覚えた漢字ではなく楽しく歌って覚えたものだから一生忘れない。この歌の大いなる付加真価である。

歌詞は恋人に抱かれて心臓ドキドキの乙女心を林檎に託した、それもガラスの。聖子ちゃんの透き通った歌声が響いてきそうである。
   
   ♪蒼ざめた月が東からのぼるわ
    丘の斜面にはコスモスが揺れてる
    目を閉じてあなたの腕の中
    気をつけてこわれそうな心
    ガラスの林檎たち