文芸誌『たまゆら』編集長の雑記帳

文芸誌『たまゆら』は30年以上続く老舗の文芸同人雑誌です。エッセイ、詩、俳句、短歌、小説、紀行文など、好きなジャンルで好きなように書く表現の場です。

たまゆら118号 目次こんな感じです

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118号では詩、エッセイ、俳句、小説の四つのジャンルに渡って13人の同人が作品を発表。なかなかの力作揃いです。作品をここで紹介したいのですがブログではなかなかそういうわけにも……。

新しい書き手募集中につき一冊無料で差し上げますので、ご希望の方はコメント欄にお名前とご住所をご記入ください。コメントは承認制ですので表示されません。ご安心ください。

編集作業ではページの割り振りも醍醐味。前後の作品の流れや無駄な余白が生じないよう組み合わせなくてはなりません。ああだ、こうだと呻吟するのも面白みです。

今回から佐々木顧問が全国各地の同人誌から選った作品評を掲載。これがまた簡潔でわかりやすくさすがの出来栄え。取り上げた作品の作者から感想が寄せられています。文学愛好家とのつながりもいいものです。

おっと次回締切は9月末に迫ってきましたので小生も続きを書かなくては……。





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『たまゆら』最新118号できあがりました

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たまゆら』最新118号出来上がりました

 

小説あり、俳句あり、エッセイあり、散文詩あり、粒ぞろいの作品が集まりました。平成2年の刊行開始以来118冊目の完成です。新しい書き手の募集中につき、ご希望の方に無料で一冊差し上げます。コメント欄に送付先のお名前とご住所をご記入ください。

本誌は東近江の作家・佐々木国広氏が立ち上げた関西でも歴史ある同人誌です。大阪文学学校の元メンバーらを中心に切磋琢磨し、書きたいものを自分の表現方法で書く集りです。

詩、俳句、短歌、随筆(エッセイ)、短編小説、連載小説、紀行文、評論なんでもOKです。

年3回発行、その都度合評会を行い自由闊達に作品の意見交換を行っています。

ご参加をお待ちしています。

 

 
 

 

たまゆら118号 本日入稿 会員募集中!

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たまゆら118号 原稿

 ★本日入稿

 8月30日発行予定の文芸誌『たまゆら』118号を先ほど入稿しました。はやければ土曜日にも仕上がってくる予定です。

 『たまゆら』は東近江在住の作家・佐々木国広氏が平成2年に立ち上げた同人誌で、80の傘寿を前に氏が代表を引退したあと、昨年小生が引き継ぎ、118号は新体制に移って4号目となります。

 同人メンバーは28人で毎回健筆を振るってくれています。今回も13人が小説、エッセイ、詩、短歌の読み応えのある、味わいの深い作品を寄稿してくれました。

 苦労というほどのことではありませんが、編集作業の紙面割に手間取りました。奇数ページで始まり偶数ページで終わる、詩、短歌は見開きにするというの規則の中での作業です。これは前だ、いや最後だとやってて、よしと思ったら奇数で終わっていた、ということも何度か。

 前回は埋め草(合間に入れる挿絵や写真、コラム)を増やして調整しましたが、かえって、ごちゃごちゃ感が出てしまい、読みづらくなりました。

 で、今号は作品のみで調整をはかってやっと入稿につなげました。返って個々の作品が引き立ち紙面も引き締まりました。

★快挙

・当誌編集委員の桑山靖子さんの「当麻曼荼羅」(『たまゆら』114号掲載)が『文芸思潮』主催の第14回全国同人雑誌最優秀賞「まほろば賞」を受賞しました。

 同賞は毎年、同人雑誌の作品を網羅的に集め、優秀な作品を選び賞を贈ろうとする、まさに最高峰というべき賞の受賞です。大変おめでとうございます。

 選評では「粗筋は早産で死んだ赤子の魂が彷徨い続けるのを追って、生命世界の本源に到達するという流れだが、その過程で中将姫が織ったという「当麻曼荼羅」の縁起に触れたり、折口信夫の「死者の書」の一節が蘇ったりして、日常の底に眠っている世界が開かれてくる展開が、深層を掘り起こしてくる」「古典に依存しつつ、その奥にある世界を掘り下げた開拓は大きい。優秀作である」と高く評価されました。

★その他も続々と高い評価が

元代表で顧問の佐々木国広さんの「みみずく屋」(『たまゆら』114号掲載)が同じく『文芸思潮』(第76号、2020年6月25日発行)で「古書店を営む夫婦の軋轢と和合の綾織りが、一つの人生の姿を象徴していて、胸に染み入ってくる。筆は健在で、いい味を出している点では、むしろ熟達を感じさせる」と評されました。

・平井利果さんの「恋知らず骨もなき兄」(『たまゆら』117号掲載)が『図書新聞』(第3458号、二〇二〇年八月一日発行)の「同人誌時評」で沖縄戦で戦死した兄に対し「行間に滲み出る遺族の悲しい思い。作品末部分に『戦争は人一人の命を少しもためらいもなく奪うという現実を見た』という文は真実の叫び。末尾にある『夏草やわれも大地の居候 登志子』という句も見事」と鎮魂を綴る秀作として高く評価されました。ほんと力作です。

・杉本増生さんの「木洩陽の道」(『たまゆら』117号掲載)が『民主文学』(2020年9月号)の「支部誌・同人誌評」で取り上げられ「障害をもつ人々に対する視線の温かさが感じられ、自分の関わりを厳しく問い続ける姿が描かれている」と評されました。これも杉本さんらしい、他者を見る視線が暖かく、そして道端の雑草をしゃがんで凝視するほどにどこまでも低く、近い。

★書き手を募集しています。

 なにごともネットでSNSで発信、もスピーディーで反応も早く便利、というものですが、活字にするのも楽しいですよ。フェイスブックなどに発表する文章をすこし深堀りして書いてみませんか。学生のとき作文を書いた、あの延長と考えてみてください。お問い合わせは書き込みで。あるいは小生のメルアドまで(abbeyroad.kaz@gmail.com)

★バックナンバー

 115号、116号、117号(若干数)あります。118号もご提供できます。ご希望の方は書き込みで。一部500円プラス送料180円。

 

 

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前号117具の表紙

 

 

 

オロロ畑でつかまえて 読書感想文

 

 

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 「オロロ畑でつかまえて」  萩原浩 第10回すばる文学賞新人賞受賞作

 最近かたっぱしから読んでいる。

 これまで丁寧に本を読んでいた。一行一行文字を追って。しかし集中力が長く続かなくなってきた。ちょっと休んでいるとストーリーがわからなくなり、そして関心を失い途中で投げ出してしまっている。

 積ん読ならぬ止め読。これってフラストレーションがたまるたまる。その本の背表紙からは「途中で止めたな」「放棄したな」「はやく読めー」というような呪詛の言葉の礫が飛んでくる。

 読め読め症候群のストレスから開放されたい! で始めたのが取り敢えず読んでしまう。最後のページまで。読み始めて関心がない興味がわかない、退屈だと思ったページは斜め読みしてしまう。気にしない気にしない。どんな小説や評論や文庫であろうと新書であろうと、おっ、と思うページはあるもので、そこだけぐっと踏み込んで読む。そうするとなんとなく作品の大意は見えてくる。いいんだ、大意だけで。完膚なきまでに読了する。なんてことは止めた。止めて気楽になった。

 これは速読ではない。勝手読み。これを無手勝流勝手読みと命名した。自分が惹かれた部分のことしか頭に残っていないのだから、作者の意図や思いが汲み取れているかといえば必ずそうはならない。勝手なんだからそれでいいじゃないか。作者がどう思おうと知ったことではない。作品は世に出たときから独り歩きするものだから。

 

 で通勤電車の往復の3時間(3日)で読んだのがこの作品。

 

オロロ豆といううずらの卵大の豆だ。銀杏のように串に刺して焼いて食べる。ちょっとケモノ臭くて慣れると案外・・・。実際はちょっと癖はあるものの香ばしい匂いがして、口に入れるとまずホロリと苦く、それからほのかな甘みがやってくる・・・。それが小説の舞台となる東北の秘境・牛穴村の特産品らしい。

作品は小説の体裁をとったギャク集といったものだろうか。何かのパロディーの連続といったものかもしれない。喜劇というよりもドタバタが延々と続く。

すばる文学賞をとったユーモア小説と評されているが、ニヤっとするような品のよさはない。題名からしサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をパロっているようだが、「ライ麦」のような上質さはこの小説には皆無である。

 牛穴村とかいうド田舎の村が村興しを企図し、手伝ってくれそうな広告代理店を探して上京。ひょんなことから経営の傾きかけた弱小のユニバーサル広告社と契約する。

ユニバーサルは村の起死回生の呼び物として村の龍神湖にネッシーならぬ恐竜「ウッシー」を出現させることにした。むろん張りぼての模型だ。捏造。しかしこれが大当たりする。大々的にテレビ新聞で取り上げられウッシーの出現をひと目みようと観光客がどっと村に押し寄せる。連日の車の大渋滞、民宿は連日の満室、民家を買い上げて間に合わせる、露店の酒場は大繁盛、池の周りに陣取る人、人、人・・・。

ボルテージは上がる一方だったが、接近に成功したテレビクルーに正体を見破られ、騒ぎは霧散する。

 これだけの話である。話の筋としては茶番であるが、伝わってきた言葉もある。それは美しいウソがある、許されるウソがある、という作者のモチーフである。そうまでしてもウソをつく人の心の内側も聞いてやってほしい。その内なるウソを作者は「LOVE」と表現した。

理屈はこうだ。A君がB子に恋をした。いっしょに音楽を聴いている。B子は言う。「この曲好き?」A君は好きでなくとも「好きだ」と答えるだろう。「ギター弾ける?」「もちろん弾けるとも」

しかしA君はギターを持っていない。だから弾けやしない。彼女に言ったことは全部ウソっぱちだ。しかしA君はあくる日にでもギターを買いに行き、教則本も同時に買って必死になって曲のコードを覚える。指にタコをつくり、たどたどしいながらも弾けるようになるだろう。しかし誰がA君のウソを詰り非難することができるだろうか。誰もが似たような経験があるんじゃないだろうか。美しい「ウソ」の。恋愛のドレスをまとった輝ける「ウソ」である。

本作はギターと村興しをいっしょくたにした屁理屈が全編に通底するテーマだ。愛があるから、情熱があるから、ウソをつく。過疎も過疎、ド過疎の村が生きるために必死になっている。その村を助けるのだ。人助けだ。だから、作り話で行く、捏造だってかまやしない。龍神池に舟を浮かべようが恐竜を泳がせようが、それも美しいウソだろう・・・。

ばかげている。いや、いいんだ。本作は最初から世の中をパロっている節がある。テレビ局が事実だと報じているニュースやドキュメンタリーですら事実を都合よく捻じ曲げて制作していることがある。テレビが話題をさらっているのは映像は実は贋作なんだと、偽物なんだよ、全部作り話なんだ・・・。(20200622)

 

ビワイチにあこがれて

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レンタルしたGIANTのクロスバイクR3  

 土日は遠出したくなる。週が開けた月曜日から次の土日はどこへ行こう、何をしよう、なんてことばかり考えている。ええ歳こいて家でじっとしているのがイヤでイヤでたまらない。

 仕事はいっぱいたまっている。次の『たまゆら』118号の自分の作品も書かなアカンし、寄稿された作品の割付や赤入れなども片付けていかなアカン。年に3回の同人誌。その編集は仕事ではない、いや、ほとんど趣味の世界だが、いつか最高齢芥川賞を狙っているスタンスからするとやはり仕事か・・・。なんでもいいが、本業も趣味も義務もしがらみもちゃぶ台返し(そっと)したくなる。

 バカな趣味ばかりもっていて、去年の5月中山道を歩いて京都三条から首都東京まで行くツアーを企てたがコロナでストップ。美濃と木曽の境目の馬籠宿でただいま停滞中(夏休みに2泊3日ぐらいで行くか)。

 てなことで6月6日旅に出た(半日だけ)。大津駅から反時計回りに草津へ、そして守山。そこから琵琶湖大橋を渡って堅田雄琴と回って行く。ビワイチならぬ琵琶湖5分の1周。

 最近自転車ってブーム、大ブーム。老若男女がいかしたスーツ着てビュンビュン飛ばしている。休日、こっちがヒーヒーゼーゼーでジョギングしている横をカラフルなバイクで風を切ってゆく。ぼくも、もうほとんどバイクを買おうとしていた。5、6万でいいのがないかと自転車屋もめぐった。買うモデルも決まりかけていた。しかし、買う前にまずは乗ってみようということでレンタサイクルにトライしてみたのだ。それがこの日。

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大津駅観光案内所(JR大津駅出てすぐ左)。バイクレンタルは事前に予約しておいた方が無難。 電話077−522−3830

 ただぼくの場合、遠出するためだけが目的ではなく、自転車ででかけて幕営することが目的だ。前後にキャリアを装着してテントやシェラフその他ギアをのっけて走る。

 これいいなあ、で買ったはいいが沢山荷物積んで走ったらバランス悪いかもしれんし、疲れすぎるかもしれん。てわけでJR大津駅の観光案内所で借りてスタートしたのだ。結構安い。10時から18時までの8時間で1800円、そしてGIANT・R3だ。乗ってみる。いつも通勤で使うママチャリとは全く違う、同じ自転車でも別物といったほうがいい。軽い。車体もペダルも。前のギアが三段階、うしろは6つだったか7つだったか切り替えられる。斜度に応じて幾段階にもシフトチェンジできるすぐれものだった。最初の難所、近江大橋の坂もなんなく突破。湖岸道路を行きやがて草津へ。10時スタート11時半着。ちょっと遅いね。

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草津宿の道標 草津宿東海道中山道の分岐点。往時は数多くの荷駄で賑わった。東海道では

52次、中山道では68次にあたる。

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近江名物 滋賀県人のソウルフード 近江ちゃんぽん 野菜一日分

草津駅前で近江ちゃんぽんを食す。大好物。お酢を一杯かけて食べる。身体が引き締まる感じがする。ぼくは滋賀県に来ると昼にはたいていこれを食べている。そこから一路、守山宿まで。

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中山道67番目の宿場 守山宿の道標

守山からこんどは琵琶湖岸へ目指して走る。時刻は13時半を回っている。実はもうくたびれている。歩くのと違って身体の各所が痛む。背中、肘、そしてお尻。背筋の伸ばしたり、肘を緩めたり、尻の痛みががまんならん。浮かして走ったらしんどいし、サドルに乗せたらひりひりする。それでもなんとか琵琶湖大橋を渡りきることができた。

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琵琶湖大橋から堅田方面の眺め。

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堅田の道の駅から琵琶湖大橋を眺める。

もうほとんど力が尽きかけているがせっかくだから土地勘を得ておきたい。

堅田明智光秀との関係も深い。光秀は延暦寺の焼き討ちのあと周辺の抑えとして坂本の地に築城を許された。坂本城築城の際堅田水軍の力を借りた。

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浮御堂(満月寺) 平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立した。

痛む尻に悩みながらペダルを漕ぐ。日吉大社にも行ってみたい。来たはいいが坂道が続く。降りてなるものかと必死でこぐ。根性、根性、ど根性!そうだ鶴喜蕎麦本店でざるそばを食べようと頑張った。がちょうど15時が昼の閉店時間で・・・間に合わなかった。隣りの日吉そばさんで一服。日吉大社へ参詣し、山上の伽藍に思いを馳せる。織田信長明智光秀の焼き討ち・・・。なんでお坊さんを殺さねばならなかったのだろう。想像を絶する。

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風情あるたたずまい。ふうわりとしたやさしい風味。ひとごこちつきました。

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比叡山延暦寺参道はは日吉大社前のこの石段から始まる。

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日吉大社大鳥居

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社殿が幾層にも屋根を連ねている

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石積みのプロ集団・穴太衆の石垣

 

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坂本城があったであろう場所にある碑と駒札

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湖岸にある記念碑。明智光秀像。こんなごつい感じのひとやったんかな

最後はのろのろ運転だった。18時までにもどればいい。マイペース、マイペース。

自転車はいい。早い。軽い、カッコいい。買おうかどうしようか。歩きもいい。好きなところで休み、座ったり写真を撮ったりできる。ちょっと考えるわ。こんどは完全にビワイチするために。










 

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 昨日は朝から家にいた。土曜日なので町歩きに出かけたいところだが、前日から空模様があやしく、夜が明けると冬のような雨が降っていた。京都の冬の雨は底冷えを誘う霖雨である。表へ出ると傘なしでも駅までぐらい歩いていけそうな細かい雨が、気長に寒さを運んでくる。

 カーテンを開けると向かいの町家や寺の瓦屋根も道路も黒く濡れて光っていた。外出に不向きなのでいやいやながらパソコンに向かった。小説を書く。この春から文芸同人雑誌の代表をやっている。八十歳になった前代表が「あとはたのむよ」と引退し重い役目を任された。新体制での最新号を先月発行したがもう次の締め切りが迫っている。

 パソコンに向かうが気が乗らない。金曜日の遅くまで勤め先でメールやワープロの仕事をし、明くる日の朝にまたパソコンに向かうのはどうしても仕事の延長のような気がしてならない。そんな言い訳を呟いてみて、雨が上がったのを幸いに外へ出た。

 気分転換にあれをやってみた。目に入るものを口にすれば新鮮味のない風景も新たな発見がある、いつだったか新聞のコラムで読んだおまじないだ。犬、自転車、花壇、屋根なんでもいい、見えたら片端からものの名前を口に出して言うのだ。

 不思議なものでその言葉遊びをすると口にしたものの存在が際立って連想が起こるのだ。するといつもそこにある植木でも、誰それの家にも同じものがある、などと気づきに巡り合うから大したものである。

 わが町・伏見は古い町で、始まりは豊臣秀吉の一五九二年の城下町形成の頃に遡る。私の今住まっている町も十七世紀の初め頃までには古地図に現れている。

 さて歩く。寺があり、真言宗○○寺とあったのでそのまま口にした。次が京町家で何を口に出すか迷ったが虫籠窓(むしこまど)と言った。ベンガラ格子でもよかった咄嗟にそれが出た。虫籠窓は道路に面した二階部分の、白漆喰で塗り固めた太い格子窓である。京町家の定番だ。

 バス通りに近づくと駐車場が増えてきた。目に入るのは黄色の看板でありその下の精算機であり黄色の枠線である。精算機のそばにはまるで申し合わせているかのように缶ジュースの自動販売機が置かれている。駐車場やそれにまつわる構造物の言葉を何回呟いただろう。十分ほど歩いた中で十箇所は軽く越えた。駐車場はしかし古い町家と町家の間に、言ってみれば欠けた櫛の間の埋草のように造りこまれている。


 京町家は夏の暑さをしのぎやすいように土壁で囲い、高い天井の通り庭などが作られているが、そのメンテナンスの手間もお金も大変で経済的肉体的持久力がなくなってしまったお年寄りなどはどうしても手放さざるを得ない事態になっていると聞く。

 私が口にしながら歩いた駐車場の光景は図らずともひとつの予感を与えた。このまま人口が減り続けたら駐車場もいずれ淘汰され、草ぼうぼうの空き地になるのではないだろうか。いやその方がマシかも知れない。子供が虫取りに興じる遊び場が増えそうなものだからだ。いや、その前に子供がいるかどうか。そこが大きな不安材料である。