『坂道のシーソーゲーム』を京都市内の書店に持ち込む
『坂道のシーソーゲーム』は業績不振を突き付けられた銀行マンが本分を忘れずに目標に立ち向う姿を描いた作品。一人出版社「たまゆら」出版を立ち上げともかく一冊単行本を出そうとひと夏かかって仕上げた小説がようやく単行本に仕上がった。
もちろん自費出版だ。主宰する同人誌『文芸たまゆら』117号から122号まで連載していた同名の小説を大幅に加筆修正してまとめたものだ(B6版190ページ、ソフトカバー)。あらすじは下記の通りだ。
<あらすじ>
舞台は京都。業績不振の責任を突き付けられた京和銀行長岡京支店の副支店長・野本雅夫。新規融資先の開拓に腐心する。そんなときもたらされた金属スクラップ会社・外村工業の2億円の融資案件。外村は京都市南区の世界的ゲーム会社天翔屋の修理業務を行う潜在性のある中小企業。飛びついたが会社の背景を解明するうちに浮かび上がった反社勢力の不動産ブローカー・ディーコムとの結びつき。
野本は2億円が真に必要な案件なのか見極めようとするが、外村とディーコムが仕組んだ天翔屋への復讐計画が動き出していたことも明らかになり、部内不祥事をきっかけにぎりぎりの局面で融資をストップする。
銀行の目標ありきの組織体制、隠蔽体質を質し、組織で働く目的、昇進の意味を問いながら足元を見失わない働き方の大切さを描いた。
<面白み>
在日コリア人が従事する割合の高いスクラップ業界の成り立ちや、経営者の思いを汲み取りながら融資を行う意義に踏み込んでいる点。またバブル期の京都駅前の地上げにも触れ京都経済の暗い過去も描くことができた。
また不祥事の責任を取らされ左遷された主人公が出向をちらつかされながらも、友人や妻に励まされ、なすべき仕事に踏みとどまろうとする真摯な姿を描いた点も挙げられる。
金融を軸に世界都市京都、古都京都の闇の部分をえぐりながら働く意味を問うた作品に仕上がった、と思う。
<販路開拓>
販路はない。未開拓だ。ひとまずプロのご意見を伺おうと京都市内の書店を訪問することにした。扱っていただけるか、お店に並べていただけるかよりも、なにか一言でもアドバイスがいただけないか――こんなもの売れない、置けない、無理無理、と言っていただいても構わない。だめならだめの理由が知りたいのだ。
大手は担当者にすぐに会えないから当分はセレクトショップを中心に訪問する。今日のところは恵文社さん(左京区一乗寺)、ホホホ座浄土寺店さん(左京区浄土寺)天狼院書店(祇園大和大路通)、レティシア書房さん(中京区二条高倉通)、多士済々さん(中京区寺町)、大喜書店さん(五条鱗形町)。企画書とサンプル本をお渡しし、取り扱えるか検討いただくこととなった。
いいアドバイスをしてくれたのはレティシア書房の小西店長だ。ミニプレスを中心にセレクトした書籍や雑誌が置かれている。「個人で出版社を立ち上げて販路開拓するのなら東京のトランスビューに当たってみたらいい。一冊からでも取り次いでくれる」
ありがたいお言葉。
トランスビューは出版社と書店を結ぶ一冊から受発注できるプラットフォームだ。月額9,800円の基本料金がかかる。ともかく1万円ほど分量の書物が出版できるまでになれば「あり」だ。
続いて向かったのはレティシア書房さんのご近所「多士済々」さん。店長さん曰く「うちはビジネス書専門で小説の類はおきませんが、これも何かの御縁ですし、1冊置きましょう」と言って下さった。嬉しい!
「取次は日販さんなんですが、当初、個人さんが開業したのは実に18年振りだといわれました。閉店する個人店続出の中での開業だったんですね。本屋は薄利多売でなきゃやっていけません。マージンも20から25%の世界です。小説も置きたいですがここは絞ってビジネス書を専門としました」
「私も本屋をするのが夢です」
「そうですか。でも売れませんよ。近頃では本屋はコーヒーショップをやったり雑貨販売もやるなどしています。本は客寄せで儲けはほかで出す。そんな時代になってますね」
tashiseisei-kyoto.com
「中川さんがお書きになった『坂道のシーソーゲーム』もっとたくさんの人が集まる店においてもらった方がいいですよ。大垣書店さんや丸善さんなど。そうそう高島屋が新館を建てますがあそこに蔦屋さんが入るそうですよ。置いてもらえるようチャレンジしてみなさいよ」
今日はいいお話をたくさん伺った。ありがたい。プロの話を聞くのが一番だ。しばらく経ってからまた伺おう。『坂道のシーソーゲーム』を読んでいただいた感想を聞けたらなあ。
坂道のシーソーゲームのお求めは……
学校に行きたくても行けない子どもたち 『たまゆら』の作品から
学校生活に馴染めず不登校に苦しむ児童生徒がいる一方、学校へ行きたくても行けない児童生徒もたくさんいる。親の育児放棄などで弟妹らの面倒をみなくてはならない子どもたちだ。小誌『たまゆら』でも家庭と学校で起こっているこの問題をテーマとした作品が度々出稿されている。
最近では119号の森ゆみ子さんの「ばあちゃんの匂い」だ。
主人公・千恵は心の相談員として中学校に週二日ほど勤務する。育児放棄している母親に代わって弟たちの面倒を見ている中学三年の奈波を気にかけている。学校も事態を掴んでいるが母親が変わらない限り無理だと匙を投げている形だ。
千恵は何の変化も与えられない自分に悔しい思いを募らせる。奈波本人は「弟たちは可愛いんです。だからいいんです」と言い、千恵は切なさを覚える。
ある日久しぶりに登校した奈波は千恵に身体に委ね抱きついたまま離れない。「先生は、ばあちゃんの匂いがする」と言う。好きだった自分のおばあちゃんと同じ匂いだ、安心の匂いだと。千恵はそんな奈波を愛しく思う。
現状を打開できないのかと千恵は教頭に詰め寄るが「相談員の先生は相手から相談の要求があって、それに応えるのが仕事ですよ」と拒絶される。
昨日の新聞(京都新聞夕刊10月23日)に、「ヤングケアラー」として家族の世話がある生徒の実態調査を行った記事があった。
さいたま市教育委員会の調査で、6月、市立中学と市立高校など生徒34,606人にアンケートを行ったところ世話をしている家族がいると答えた回答は中学生で1,273人で4.51%に上った。高校生で0.69%の14人だった。「世話を必要とする家族」として最も多く挙げたのはきょうだい(631人)、母親(513人)、祖母(317人)だった。
高校生になると減るのはなぜだろう、母親の世話というのはひょっとすると母親が病気等で動けず育児が生徒に回ってくるということを裏付けているものなのだろうか。生徒の義務教育を守るために当局は踏み込めないのだろうか、疑問は尽きない。
「ばあちゃんの匂い」はこの社会問題を小説にして提示し、なおかつ穏やかな文体で迫った秀作だ。
※119号のバックナンバーあります。
ご希望の方はコメント欄に住所、氏名、電話番号をご記入ください。本誌代、送料込
680円です。
「レティシア書店」さん(京都市中京区)にたまゆら121号を置いていただきました


京都市中京区高倉通り二条下ルの「レティシア書店」さんにたまゆら121号を置いていただきました。店主の小西さんは目利きの鋭さが光る。チョイスのよさが店の雰囲気を引き締めています。
たまゆらの冊子にもかわいく帯をつけました。手にとってもらいやすいかな。


立ち寄ったついでに岡潔氏に関する本を買い求めました。岡潔氏(1901〜1978)は日本の数学者哲学者。多変数解析関数論(なんのこっちゃ)において高い業績を残した。近年改めてその足跡が見直されてる。最近では気鋭の独立研究者・森田真生さんが岡の足跡をたどっている。森田さんは岡氏の思想や言葉をベースに新たな数学論、言い換えれば数学の探求から導かれる哲学を追求している。
『萌え騰るもの』はなんと岡潔さんと司馬遼太郎さんの対談。これは滅多にというかこの小冊子を読むことでしか体験できない知的冒険だ。時間を逆戻りさせ二人が生きた時代に私も身を置けた感激。本を読むとはこういう二大巨頭の対談を活字で読むこと、また時間的逆回転体験ができることが醍醐味だ。


ホホホ座さんに「たまゆら」121号を置いていただきました
京都市左京区浄土寺のセレクトブックショップ「ホホホ座」さんに「たまゆら」121号を置いていただきました。
銀閣寺から北白河通りをずっと下って真如堂のある黒谷の辺り。哲学の道など近くに立ち寄る機会があればぜひこの書店へも。稀少本、ミニプレス、古書と出会いがあります。


ちなみにこの本もここで買いました。『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと』
店主の山下賢二さんが古くから付き合いのあった作詞家松本隆さんとのインタビューをまとめたもの。
「孤独というのは、結構な荷物。いちばんコントロールするのが難しい敵かもしれない。どんなに偉くなっても、金持ちになっても、目の前にいる」(51ページ)。歌謡曲の大家の言葉だけにひときわ印象深い。
ホホホ座に是非一度……。
読書の思い出 りんごがいいですか、それとも林檎ですか
「松本隆さんから喫茶店で聞いたこと」を読んで
名作詞家の松本隆さんが、松本聖子さんに「ガラスの林檎」の詩を書いたとき、盟友細野晴臣さんが作曲したのだが、いよいよ発売の段になって、レコード会社側が
「タイトルの『林檎』という漢字が難しすぎて子供には読めない。カタカナにしてくれ」
と頼んできた。
松本さんは「読めないんだったら、これで読めるようになりますから』って突っぱねたそうだ。「松田聖子が『ガラスの林檎』で一位をとれば、小学生が覚える。それだけでもすごい教育になるんじゃない?」と松本さんは語っている(「喫茶店で松本隆さんから聞いたこと」67ページ 山下賢二著 夏葉社2021年9月15日第2刷発行)。
ところで難読漢字というものがある。画数が多かったり字の格好から推測つかないような漢字である。昆虫の名前なんかそうだ。例えば蟷螂(かまきり)や蜉蝣(かげろう)など。草花もいっぱい?が付きそう。紫陽花(あじさい)銀杏(いちょう)はまだポピュラーなほうだろう。猫じゃらしにも使われる狗尾草(えのころぐさ)は活字では滅多にお目にかからない。風情のある落葉松(からまつ)も山歩きが好きな人でもなければ難しいかもしれない。日常性のある字でも愛猫(あいびょう)や釣果(ちょうか)吹鳴(すいめい)はすんなり読めない人もいるかもしれない。
これは難読漢字ですよ、と文科省が分類した漢字集があるのかどうか知らない。これも個人差だろうが、普段から読んだことがなかったり使わなかったりする漢字は難読ということになるんだろう。
私はときどき同人雑誌などに文章を書いている者だが、書いている途中に漢字にしようかどうしようか迷うことがよくある。長い間のうちにこれは漢字では書かないと癖にしてしまっているのも多く、知らずと難読漢字を増やしてしまっている。しこうして、ここ一番というときに限って漢字が思い出せず辞書を繰るということにあいなる。
自分はこう書く、この漢字は使わないと決めることは誰でもできる。例を上げると説明的あるいは伝聞形式の、「事件Aのその後の状況は証拠は集まっていないという」は「言う」とは書かないし、「こういったことはしてはいけない」は「事」とは書かないようにしている。文法的な理由よりも「言う」や「事」を連発すると文章に「言」や「事」だらけになってしまって見苦しいからだ。また「ぼくはそうこたえた」も「答えた」も「応えた」も使い分けをせずもっぱらひらがなだ。実はどっちがどっちか決定的な意味の違いを勉強していないからで、そのお粗末さに反省しきりです。
大家になれば縦横無尽に漢字とひらがなを使い分け引き締まった文章を書いている。作家によってどの字、どの漢字をどう使うかはその人次第。最もふさわしい文字をそこに当てはめて文意を掘り下げるのが作家魂だ。ただ難しい漢字を使えばよいということではない。神は細部に宿るというが、漢字によっては作品全体をぶち壊してしまうようなこともあるから要注意である。
「ガラスの林檎たち」は広く「林檎」って漢字でこう書くんだと知らしめた。その事実は大きい。暗記一辺倒の学習では気が重い。教師にせっつかれて覚えた漢字ではなく楽しく歌って覚えたものだから一生忘れない。この歌の大いなる付加真価である。
歌詞は恋人に抱かれて心臓ドキドキの乙女心を林檎に託した、それもガラスの。聖子ちゃんの透き通った歌声が響いてきそうである。
♪蒼ざめた月が東からのぼるわ
丘の斜面にはコスモスが揺れてる
目を閉じてあなたの腕の中
気をつけてこわれそうな心
ガラスの林檎たち
第9回文学フリマ大阪に行ってきました
◎第9回文学フリマ大阪
9月26日大阪・天満橋のOMMビルで開かれた文学フリマ大阪に行ってきました。純文学系からエンタメ系、ファンタジー・幻想文学、歴史古典、エッセイなどなど集った文芸同人誌や愛好会、大学のクラブらはざっと350以上。それぞれがブースに陣取り冊子を手に続々と来場するファンにアピール。まだまだ活字は捨てたものではないという感を強くしました。新しい書き手の募集にこの催しに参加しない手はない。

来場者は目当ての団体や好みの雑誌や書籍を探してブース間を回遊。
滋賀県大津市で文芸エムを出版する原浩一郎さん。
文芸エムはこのほど全国同人雑誌協会新人賞を受賞。同誌は投稿により誌面を作り年4回発行している。原さん自身は文芸思潮主催の銀華文学賞で最優秀賞を2回も受賞した優れた作家。
同人誌の合評会のあり方や編集の方向性についてお話をさせていただきました。
読書の思い出 サイゴンから来た妻と娘
日々の暮らしのあれこれが読書の思い出と結びつくことがあります。ああそうだった、と読み返してみるのも楽しみかも。
◎サイゴンから来た妻と娘
アフガニスタンの首都カブール陥落の模様をテレビで見たとき、真っ先に思い出したの
はサンケイ新聞の特派員だった近藤紘一氏(故人)が、1975年の南ベトナムの首都サ
イゴン陥落の瞬間を打電した第一報である。
「サイゴンはいま、音を立てて崩壊しつつある。つい二ヶ月、いや一ヶ月前までははっき
りと存在し、機能していた一つの国が、今地図から姿を消そうとしている。信じられない
ことだ……」とこのノンフィクションの冒頭、近藤氏は緊迫の数時間を活写した。
物語はベトナム人の妻と娘を日本に出国させ東京で始めた3人での暮らしに移る。同じ
アジア人同士の、ベトナムと日本の衣食住の、また政治や宗教観のカルチャーギャップ、
そして生きることに対する考え方の違いを優しく細やかに描いた。
私はこれを、カンボジア難民を支援するNGOのスタッフとして、タイで暮らしていた
30年ほど前に東北タイの駐在事務所で読んだ。東南アジアの分厚い大気のもと同じ空気
を吸っていたせいか、どうしても次の一節が今でも頭から離れない。
「東南アジアの社会は一般に『軟構造』の社会だといわれる。近代国家の実質をなす各種
の制度や秩序が、まだ末端の日常生活を管理しきっていないということなのだろう。(中
略)
本来は便法であった、これら窮屈なもの(近代国家を支える制度とか秩序)が、次第に絶
対化され、独自の生命力、支配力を持ち始める。この結果、組織はそれによって、表面的
にはダイナミズムを発揮するだろう。モーレツが美徳になれば、国民はそれが実際に自己
の人生にどれほど利するか考えず、やみくもに働く。(中略)その便法が一人歩きするの
に比例して、もともとはその便法(制度や秩序)の主人であったはずの人間の自由な心は
発露の場を失い、萎えていく」
私は難民救援のかたわら国境地帯に出向き寒村の開発支援も行っていた。養豚養鶏なん
でもいい、ひとつのプロジェクトを実行しようとしてちょっと手違いがあったとする。タ
イの人々は概して「マイ・ペン・ライ(気にすることないよ)」とおおらかに構えること
がままある。ときにこっちが「えっ?」と考え込んでしまうようなことでも平気だ。
細かいことにいちいち拘泥しないそんな気質に対し「だから民主主義が機能しないんだ
、開発の遅れた農村があり人々が貧困に喘いでいるんだ」などと目くじらを立てたものだ
。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本経済は力を謳歌し、バブルに突入していた浮か
れた時代だった。愚かにも私は世界で一、二の経済力を誇る日本人だという驕りがあった
のだ。タイの村が貧しいのは几帳面に働かないからだと決めつけていた。
2020年頃からタイでは反政府運動が再び盛り上がりを見せている。これまでタブー
視されてきた王政まで踏み込み、国の体制そのものが歴史的転換点を迎えている。政治の
変革を求めて人々がシュプレヒコールを上げる姿をテレビで見て、タイの市民の方が日本
人よりよっぽどパワフルだと感じずにおれない。
日本にはもう社会も経済も国際競争力で誇れるものはごくわずかしかない。人口減少、
産業の空洞化から長く抜け出せず、ここへ来てコロナ禍、医療崩壊、所得減少、所得格差
に拍車がかかる。こうした負の面が報じられ、事実、国の将来が危ぶまれる状況に陥って
いても、私達日本人は個人個人では反感を持ち不満をSNSでぶちまけるが、街路に出て、
目に見える形で運動を展開し意見を表明する場面ほとんどない。おとなしい。私自身も。
近藤氏が言うように「人間の自由な心は発露の場を失い、萎えていく」。そういった状態
に私達はあるのかも知れない。