文芸『たまゆら』編集長                       オフィシャルブログ

文芸『たまゆら』編集長のきままなページです。『たまゆら』は30年以上続く老舗の文芸同人誌です。小説、エッセイ、詩、俳句、短歌、紀行文など、好きなジャンルで好きなように書く表現の場です。あなたの書きたい気持ちを活字に。

第2回『たまゆら』同人誌寸評 

小誌の顧問佐々木国広が寄贈された同人雑誌の中から作品をピックアップして感想を述べています。これまで掲載されたものを順を追ってご紹介します。

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★『たまゆら』118号(令和2年8月30日刊)」から


☆瀬戸みゆう「〈ヒト・マウス〉キメラ」(『半月』第Ⅰ0号)

「わたし」は血液癌治療のため点滴投与の予約を取ってあり、新幹線で新岩国駅から神戸へ行かねばならなかった。車で駅へ急ぐも豪雨による通行止めに遭い、遠回りせざるをえなかったが、発車時刻に間に合うかどうか、いたく気を揉むハメになった・・・。

 奇異なタイトルだが、マウスの体内で作られた成分、キメラ(怪物)が悪玉細胞を攻撃するというイメージが浮かぶ。一種の癌小説といえるが、ストーリーに通行止めという障壁ポイントを設けてあり、主人公の運転を急ぐドキドキ感が五拍子のように響いてくる処がミソだと読み取ったのだが、作者の狙いはこれだけだったのかどうか・・・。

☆錺雅代「オクラの棘」(同誌)

 舞台は二階建ての共同アパート「山田荘」。地方から引っ越してきたはずきは同じ二階の幸子と親しくなる。お互いオクラにちなむ思い出話を交わしたりするが、或る時、幸子が男とブランコに興じていた出来事を、昔飲み屋をしていたという管理人のおばさんに漏らすと、彼女はその男の囲われ者だと教えられ「オクラの棘に触れた痛さ」を覚えた。その管理人のおばさんからちょっとしたミシン仕事を頼まれ引き受けた処、お礼にと玉子の煮ぬきをくれて、胸がポカポカと温かくなった・・・。

 さりげない日常事を連ねて、ほっこり味で締めくくる、小気味のいい市井物なのだが、幸子のキャラクターが面白そうで、囲われ者の行末なり末路がもっと知りたくなる。

☆秋吉好「松永軍記」(『異土』第Ⅰ8号)

 世に梟雄と評される松永久秀伝が完結した。歴史上の人物、とりわけ英傑、奇人に伝説や俗説は付き物で、とかく作り話がもてはやされる。信貴山城での最期の場面で、彼が名物の茶釜「平蜘蛛」を割って爆死したとの逸話が最も有名である。だが、本編で描かれた落城の顛末は、もはやこれまでと城内に荏胡麻油を撒いて火を放ち、腹を切るという、ごく真っ当なものになっている。作者はいささかも俗説などに惑わされることなく、あくまでも真相に迫らんと筆を抑えてあり、むしろ冷徹なほどである。信長の雑賀攻め、多聞山城の破却、信長包囲網、能登の争乱、信長による大和の松永党潰し、松永の籠城戦、そして城砦炎上・・・。作者の筆致は精細を極め、間然するところがない。実像は、恐らく三好長慶に仕えた忠臣で、勇猛なる能吏だったのではないか、偽作者らに利用されただけだと思われる。

 尚、作者は周到にも本編執筆に際しては興福寺の英俊による「多聞院日記」を下敷きにしたと付記している。できれば諸城の布陣図でも添えてあればありがたいのだが・・・。ちなみに久秀の肖像画をよく見れば、瞳は意味ありげに赤く塗られ、唇は厚く、前歯が二本突き出ていて、頬骨は張っている。

 ☆月野恵子「月明り、青い咳する」(同誌)

 住宅すみたく顕けん信しんなる、夭折の自由律俳人をご存知だろうか。作者とは同郷の岡山出身で、その生涯が「ずぶぬれて犬ころ」と題され映画化されたとの新聞記事に接して彼に関心を抱き始めたという。顕信は昭和三十六年生まれ、とりわけ尾崎放哉に傾倒し、西本願寺で出家、白血病を患い、離婚後は俳誌『層雲』『海市』に入会、二十五歳で歿。詠まれた句は全二百八十一、死後、句集『未完成』が刊行された・・・。

 作者は彼の短い一生を丹念に辿り、諸氏の評価を紹介、作品鑑賞を試みていて、闘病句が多いけれども湿っぽくなく、鋭い感性と独特な視点が胸を搏つ、と感想を記している。筆者もやはりタイトルに掲げられた句に注目、読点と青が印象的だ。俳句と称するからには、たとえ非定型であろうとも、一つの季語、どこかに断截、内なる音律がなければ一行詩になってしまう。彼の難病と出家という閲歴からして、絶えず死線と向き合いながら、根底には末期の眼と仏性の眼を潜めて詩心を燃焼させたのだ、と筆者は推断した。

☆藤野碧「回廊に吹く風」(『いかなご』第23号)

 美枝子は婦人病で入院し、早々と数人の患者と親しくなる。仮に男だと、そうはいかないだろう。それぞれの事情、抗がん剤治療とか更年期障害、卵巣摘出、談話室で観る映画「シャル・ウイ・ダンス」、外泊、転院などにまつわるエピソードが綴られる。文中に「可能はいつも不可能と背中合わせなのだ」「生命体とは、いかに意識の外で気まぐれな機械のように動かされているのか、と思わざるをえない」との記述が光る。入退院患者同志の出会いと別れ、それに伴なう哀歓の情が交錯する。

 女性ならではの病床記だが、作者の眼はどこか覚めている。所詮は、これもまた一期一会なのだと・・・。

☆佐藤水楊「老女ともだち」(同誌)

 水みお麻は湖南で独り暮らしをする七十歳。或る時、息子の有たもつが紫音と名乗る若い女を連れてくる。彼女は足踏みミシンにいたく興味を示し、それでコスプレ服を縫わせてほしいとせがみ、居候するまでになった。水麻はいつの間にやら母親のような気持ちにさせられ、自分も変身してみたくなってしまう。リハーサルをと試着してみれば、紫音は女戦闘士、水麻は魔女に・・・。

 本編は各章の頭に数字ではなく、短歌を配してある処がユニークで、いわば変身願望小説と称してよいだろう。曰く「老女も時として心のなかは少女なのである」。